先日、同僚の女性と話をしているときに、
「この会社にいる限り、本質的な問題には向き合えない。少なくとも今の社長は拡大しか考えていないから」
と言っていた。
彼女は、
今は何がしたいかわからないが、40歳を超える頃にはNPOなどで働きたい。
そうだ。
気持ちはよくわかる。
おっさんもむかし同じことを考えたから。
社会に害悪を与える企業
おっさんは30歳当時、ブラック企業で働いていました。
世に言うブラック企業は、残業が多く、休暇を取れず、残業代が払われないことを言うようですが、この会社は違います。
やっている事業そのものがブラックでした。
まだ存続している企業なので、詳しいことは差し控えますが、その事業が拡大すると不幸な人が増えると言う意味合いでのブラックです。
そしてその企業の社長は、お金のことしか考えていない社長でした。
おっさんはその事業の方向性を変えようとしましたが、力及ばず転職しました。
その時の経験から、
ミッションやビジョンが形骸化しておらず、顧客や従業員を大切にしている企業に勤めたい
と思って、転職活動をしました。
その時のおっさんの転職活動の軸は「社会貢献性」だったわけです。
社会貢献性だけを重視する企業のワナ
しかし、そうして社会貢献性を重視した転職活動をしてみた結果、受けた企業の印象はとても良いとは言えませんでした。
なぜなら
・企業に活気がない
・サービスや事業も全く洗練されていない
のです。
それをおっさんは、
経済合理性の欠如からくるものと読み解きました。
社会貢献性を事業の軸に据えると、経済合理性での議論ができません。
例えば、高校生の生き方を見直す機会を与えるということをコンセプトにしたNPO法人がありました。
高校生に普段接することがない、大学生や社会人と対話する機会を与えたり。
課外授業で被災地を巡る教育旅行を行なったりすることで、生きている意味や何かを一生懸命やることの意義を見つめ直そうという試みをしているNPO法人です。
やっていること自体はとっても素晴らしいのです。
でも、
運営団体の管理はずさんそのものでした。
運営スタッフのプロフェッショナリズムが形成できていないのです。
中に入ったわけではないので、詳しいことはわかりません。
でも推測すると、スタッフはやっていることの意義のためだけに集まっている集団であり、そこに経済の観点がありません。
しかし、多かれ少なかれ人は食っていかなければならない。
志だけでは飯は食えません。
ゆえに、非営利法人はどこか片手間。どこか自己満足に陥ってしまうのではないかと思います。
力だけでも想いだけでも
多くの人に貢献したい。
真っ当に幸せを考えたことのある人なら誰もが行き着く結論かもしれません。
アルフレッド・アドラーも
人間の幸福は貢献感である
とはっきり言っています。
とはいえ、力のない人に人への貢献はできません。
現代における力とは、お金です。
お金を稼ぐ力と貢献したいという想い。
2つの両輪があって初めて人に貢献できます。
本記事のタイトル
道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である
とは二宮尊徳の言葉です。
おっさんは、社会貢献性と経済合理性のはざまで揺れ動いていた時にこの言葉に出会いました。
その時に我が意を得た!
と思いました。
力だけでも想いだけでもダメなんです。
力と想いの双方があって初めて人に貢献できる事業ができる。
同僚の女性に伝えたいことですが、話が長くなるのでこの場で書いてみました。
おわり。
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ではまた、さいちぇん!